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東京地方裁判所 昭和45年(ヨ)1703号 決定

債権者

神近市子

右代理人

安倍治夫

債務者

有限会社現代映画社

右代表者

吉田喜重

右代理人

田中治彦

環昌一

西迪雄

田中和彦

債務者

株式会社日本アート・シアター・ギルド

右代表者

井関種雄

右代理人

本林譲

青木武男

千葉省一

債務者

東宝株式会社

右代表者

松岡辰郎

債務者

三和興行株式会社

右代表者

井関種雄

右当事者間の映画上映禁止仮処分申請事件につき、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件申請をいずれも却下する。

事実ならびに理由

第一債権者の主張

債権者の申請の趣旨ならびに理由は、別紙映画上映禁止等仮処分命令申請書および申請変更の申立書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

第二当裁判所の判断

本件のごとき上映禁止仮処分が、憲法二一条二項の検閲禁止規定に触れるか否かの点は暫くおき、債権者主張の被保全権利の有無について判断する。

一、債権者は、本件映画が債権者の名誉を毀損するものであり、あるいは私生活をみだりに公開されない権利、いわゆるプライバシーの権利を侵害する旨主張する。

(一) 〈証拠〉並びに債権者および債務者有限会社現代映画社(以下、現代映画社という。)代表者各本人審尋の結果および審尋の全趣旨を総合すると、以下の事実が一応認められる。すなわち、

(1) 債権者は、明治二一年長崎県に生れ、東京女子英学塾(後の津田塾専門学校)を卒業後、弘前高女教諭、東京日日新聞記者を経て婦人解放運動および社会主義運動に加わり、戦後は日本社会党に属して昭和二八年以来衆議院議員として活躍を続けたが、昭和四四年一二月政界を退き、以後は幼稚園理事長等を勤める外、社会評論家として平穏な文筆読書生活に入つた。その間債権者は、無政府主義者大杉栄をめぐる複雑な恋愛関係の破綻から、大正五年一〇月九日、神奈川県葉山村の旅館「日蔭茶屋」において、大杉の頸部に短刀で切創を負わせるという事件(以下「日蔭茶屋事件」という。)をひき起し、懲役二年の刑を言渡され、その執行を受けるなど多彩な経歴を有するものである。

(2) 吉田喜重は、戦後映画監督として映画の製作に従事するとともに、いわゆる独立プロダクションとして映画の製作販売等を目的とする債務者現代映画社を主宰してその代表取締役の地位にあるものであり、債務者株式会社日本アート・シアター・ギルド(以下A・T・Gという。)は、芸術映画の輸出入、配給、製作および興行等を目的とする会社、債務者東宝株式会社、同三和興行株式会社は映画等の興業を営む会社である。(〈証拠〉によれば、本件映画は、債務者現代映画社の製作にかかるものであり、同債務者が同映画の著作権を有すること、映画の配給を主たる営業とする債務者A・T・Gは、昭和四五年二月一九日債務者現代映画社との間で右映画につき債務者A・T・Gにおいてその上映、配給を独占すること、但し、テレビの放映については、同債務者らにおいて協議するという趣旨の配給委託契約が成立したこと、債務者A・T・Gは、昭和四五年三月一日映画等の興業を営む債務者東宝株式会社、同三和興行株式会社との間でそれぞれ同債務者らの経営する劇場において右映画を同年三月一四日から二週間ないし七週間にわたつて上映するという趣旨の上映契約を結び、更に、関西、九州地方における興業者との間においても同年四月頃まで右映画の上映契約を結んだが、それ以後においては上映予定が組まれているにすぎないことが窺われる。従つて、債務者現代映画社は、本件映画の著作権者として、その使用許諾を与えうる地位にあり、債務者A・T・Gは右配給契約にもとづいて本件映画の上映興業権の一部使用を許容しうる地位にあり、債務者東宝株式会社および同三和興行株式会社は、右上映契約にもとづいて本件映画を上映しうる地位にあるものということができる。)

(3) 申請外吉田喜重は、かねてから大正初期における思想の自由、恋愛の自由に対する抑圧的社会体制の下での西欧の近代思想に目覚めた男女の日本古来の土着的思想との相剋に苦しんだパイオニアとしての厳しい生き方を追求し、これを現代の若い男女の生き方と対照させることによつて、現代的意義を問うてみたいと考えていたところ、その素材としては甘粕大尉に虐殺された大杉栄をめぐる三人の女性の愛憎の葛藤と破綻とが、恰好の材料であると考えた。そこで、吉田はこれに関する資料としてすでに公開されていた瀬戸内晴美著「美は乱調にあり」、立野信之著「黒い花」、木村太太著「魔の宴」、多田道太郎編日本の名著第四六巻「大杉栄」、谷川健一編、「青春の記録」第八巻「わが青春のとき」大杉栄・伊藤野枝書簡集、神近市子著「わが青春の告白」(昭和三二年三月刊)、雑誌「女の世界」(大正七年九月号)、塩田庄兵衛編「現代日本記録全集・革命の道」のうち荒畑寒村著「寒村自伝」、平塚雷鳥著作集、大沢正道著「大杉栄研究」、岩崎呉夫著「炎の女」(伊藤野枝伝)などを集める一方、映画の構想を練り、昭和四四年春頃、債務者現代映画社作品として、「エロス+虐殺」(以下本件映画という。)を監督製作した。本件映画は、甘粕憲兵大尉らによつて虐殺された無政府主義者大杉栄をめぐる雑誌「青踏」の編集長として婦人解放に努力する伊藤野枝、東京日日新聞記者正岡逸子(それが債権者の仮名であることはたやすく推察しうる。)大杉の妻堀保子らの女性関係をとらえ、それに対し、現代の若い男女の架空のインタビューなどを通じて、その愛憎の葛藤と挫折に視点を当てながら、現代の自由恋愛(フリーセックス)的行動と右大杉らの自由恋愛とを対照的に交互に描き、なかでも旅館「日蔭茶屋」における正岡逸子の大杉に対する嫉妬の場面および刃傷場面の描写をかなり強調的に展開させているほか債権者の福四万館における打算的言動等により、債権者と伊藤野枝とが幾分対照的に描き出されている。

そして、右映画の登場人物のうち、生存者を除き、大杉栄、伊藤野枝、堀安子、辻潤、堺利彦などその多数は実名が用いられ、仮名を用いた場合でも平賀哀馬(平塚雷鳥)、荒谷来村(荒畑寒村)など実在人を推知しうる名前が用いられている。ところで、右映画は、すでに昭和四四年夏から秋にかけてフランスにおいて上映されたが日本国内においては昭和四五年三月一四日からA・T・G系映画館において上映されることになつているところ、日本国内における上映に先立ち、債権者から上映中止、フイルムの一部カットの要求がくり返されたため、当初上映時間四時間を要したものを吉田において数ヵ所をカットした結果三時間に短縮されるに至つたものである。

以上の事実が一応認められ、他に右認定を左右するに足りる疎明資料はない。

(二) ところでこれらの人格権の侵害に対する法的救済は、個人の尊厳、幸福追求の権利と表現の自由の保障との接点の問題として慎重な配慮を要するといわなければならない。人格権の侵害に対し事前に差止請求権を認めうるか否かについては議論の存するところであるが、これを積極に解しても、表現の自由に対する重大な制約である点に鑑み検閲を禁じた憲法二一条二項の精神を考慮して、権利侵害の違法性が高度な場合にのみ、差止請求を認めるべきものと解するのが相当である。

かかる観点にたつて、債権者の人格侵害の有無およびそれによる上映禁止等請求権の成否について検討する。

(1) プライバシーの侵害について。

債権者が公開を欲しない私生活と主張する前記日蔭茶屋事件および債権者らと大杉との恋愛関係の葛藤は本件映画の中心的素材として描出されていることは前認定のとおりであるが、それが既に半世紀以上経過した過去の歴史的事実とはいえ、前記認定のように、昭和三〇年代から四〇年代にかけて多数の伝記、小説等として公刊され、現代においても世上公知の事実となつているばかりでなく、前記のように債権者自身昭和三二年三月初版の前記「わが青春の告白」や比較的最近の昭和四〇年三月初版の「私の履歴書」(第二三集)(疎甲第二六号証)において右事件等の概要を著述している事実に徴すれば、もはやプライバシーの要件である秘匿性はないものという外ない。もつとも映画という媒体の性質上、とくに描写の態様ないし深度いかんによつてはプライバシーの侵害を認めうる場合もあることは否定しがたい。しかしながら本件映画が右歴史的事実をことさらに歪曲、誇張しているような点は本件全疎明資料によるも認めがたいし、前記のごとき本件映画の内容、製作者の意図等からすれば債権者の私生活の暴露描写も認めがたい上、前掲公刊の資料に依拠して比較的忠実に描いた右事件等を素材として、本件映画を全体として製作した意図、過程を窺知しえないわけではなく、プライバシーの侵害の違法性も表現の自由との比較衡量ないし価値選択の問題であることに鑑みれば、少なくとも本件映画について、その上映差止請求権を生ずべき高度のプライバシー侵害の違法性があるとは断定できないといわざるをえない。

(2) 名誉毀損について

日蔭茶屋事件が前記のように公知の事実であり、債権者自身もその証拠を告白している以上、遠い過去の不名誉な履歴を摘示して債権者の社会的評価を一般的に低下させるとの債権者の主張は当らない。

もつとも前記認定のように、本件映画において債権者が大杉との恋愛における敗北者として伊藤野枝と幾分対照的に描出されていること、日蔭茶屋の刃傷場面が稍冗長の感がないでもないこと、債権者の下宿および福四万館における債権者の打算的言動が債権者の体験事実に幾分吻合しないこと、その他映画描写の性質上、債権者刃傷沙汰の印象が鮮烈であること等の諸点を考慮すれば、債権者の社会的評価に影響を与えないとはいえない、それも創作映画、芸術表現の自由権の限界をこえているとはいえず名誉毀損による本件映画上映禁止請求権を発生させるべき高度の違法性があるとはいい難い。

二従つて爾余の点について判断するまでもなく債権者の本件仮処分申請は、いずれも被保全権利につき疎明がないことに帰する。そして疎明に代えて保証をたてさせるのも相当な事案とは認められないので、本件各仮処分申請をいずれも却下することとし、主文のとおり決定する。(吉川正昭 福永政彦 大田黒昔生)

映画上映禁止等仮処分命令申請

債権者 神近市子

右代理人 安倍治夫

債務者 吉田喜重

債務者 有限会社現代映画社

右代表取締役 吉田喜重

債務者 株式会社日本アート・シアター・ギルド

右代表取締役 井関種雄

映画上映禁止等仮処分申請事件

請求の価額 金五〇、〇〇〇円

(非財産権的請求)

申請の趣旨

被申請人両名は、有限会社現代映画社制作にかかる映画「エロス+虐殺」のフイルムを、不特定または多数の者に観覧させるために上映し、または第三者に売却、引渡、賃貸、譲渡、頒布、その他一切の処分をしてはならない。

との裁判を求める。

申請の理由

一、(一) 債権者は、明治二一年長崎県に生れ、ミッションスクール活水女学校を経て東京女子英学塾(後の津田塾専門学校)に入り、大正初期同校を卒業後弘前高女教諭、東京日日新聞記者を経て婦人解放運動および社会主義運動に加わり、戦後は日本社会党に属して、昭和二八年以来衆議院議員に当選すること五回、その間、売春防止法の成立、死刑囚再審運動等に貢献するなど、人道主義的な社会運動家として不抜の声望を確立したが、昭和四四年十二月後進に道を譲つて政界を退き、以後社会評論家として、平穏な文筆読書の生活に入つた。その思想と行動は一貫して純粋潔癖な愛情、正義感およびヒューマニズムによつて支えられ、国民大衆の深い尊敬と共感を一身にあつめている。なお、この間鈴木厚に嫁し、一男二女の母となつた。

(二) 債務者吉田喜重は、戦後わが国の映画界に新風を導入し、いわゆる前衛的手法にひいでた映画監督として、多年映画制作に従事するとともに、みずから現代映画社を主宰してその代表取締役の地位にあるもの、債務者有限会社現代映画社は、いわゆる独立プロダクションとして、映画の制作販売等を目的とする会社、債務者株式会社日本アート・シアター・ギルドは、芸術映画の振興を標ぼうし、芸術映画の輸出入、配給、制作および興行等を目的とする会社である。

二 債権者は、大正五年頃無政府主義者大杉栄をめぐる複雑な恋愛関係におちいり、その破綻から、同年十月九日、神奈川県葉山村の旅館「日蔭茶屋」において、短刀をもつて変心せる愛人大杉の頸部に切創を負わせるという事件(以下「日蔭茶屋事件」という)をひきおこしたが、債権者は当時懲役二年の刑を言渡されて、その執行を受け終つており、爾来半世紀を歴た今日では関係記録もおおむね滅失して、その判決原本の所在すら定かではなく、事件そのものに対する世人の記憶もまつたく薄れている。ましてや、事件の詳細かつ具体的な深部については、秘匿された私事として、申請人本人および二、三の関係者以外には知らされていない。

三、債務者吉田喜重は、昭和四四年春頃、現代映画社作品として、映画「エロス+虐殺」を監督製作した。これは、甘粕大尉に虐殺された大正初期の無政府主義者大杉栄をめぐる三名の女性の愛憎の葛籐と破綻とを主要な素材とし、現代の若者のフリーセックス的行動と半世紀前の新しい女たちの自由恋愛とを対照的に交互にえがきながら、随所に前衛的手法を駆使して、時間的対話のうちに、政治と性の問題を追求しようとした、野心的作品であるといわれている、この映画はまた、自由恋愛の破綻としての、「日蔭茶屋」の刃傷シーン(嫉妬に狂う「正岡逸子」が愛人大杉栄を刺す場面)を後半部における最大の悲劇的クライマックスとして強調している。

四 右映画において大杉栄の愛人の一人として登場する「正岡逸子」なる人物はその劇中の地位および音韻の近似により、明らかに歴史的実在人である申請人をモデルとしたものと考えられる。このことは右映画のシナリオにおいて「正岡逸子」が「神岡逸子」ないし「神近市子」とされていたことからも知られる。

なお、右映画の登場人物の大多数は歴史的実在人をモデルとしたものであり、しかもその多数は実名を用いている(例、大杉栄、伊藤野枝、堀安子、辻潤、堺利彦等)。たまたま仮名を用いた場合でも、一見してモデルたる実在人を推知しうるものである(例、平賀哀鳥―平塚雷鳥、荒谷来村―荒畑寒村)。

五 右映画の登場人物である「正岡逸子」が、右にのべたように、明らかに歴史的実在人である前国会議員神近市子の若かりし日をモデルとしたものであり、しかも「正岡逸子」(神近市子)等の大杉栄をめぐる恋愛葛籐の顛末をその破局的頂点としての「日蔭茶屋刃傷事件」を強調しつつ、誇張と歪曲とを加えて、えがいている点において、この映画が全体として不本意にもモデルとされた債権者の名誉とプライバシーをいちぢるしく傷けるものであることはいうまでもない。

六 右映画が、とくに債権者の名誉(社会的価値評価)を傷けると思われる点は、次のとおりである。

(一) 不当に理想化された「伊藤野枝」との対比において「正岡逸子」こと神近市子の女性としての愚かさと敗北とを無残にも強調しすぎることによつて人道主義的な知的婦人運動家として世間の衆望をあつめてきた前国会議員神近市子(債権者)の社会的評価(ないしイメージ)をいちぢるしく傷ける。

(二) 愛慾場面、痴情的嫉妬の場面および刃傷場面(とくに劇中「正岡逸子」が血のしたたる短刀をひらめかし長襦絆のすそを乱して走り廻るいわば「つるぎの舞」ともいうべき長尺シーン)をえんえんとして、くりかえし見せつけることにより、債権者の清純温和な人がらのイメージを致命的に傷ける。すなわち、この映画の平均的観客は債権者を、その本質において「女性の愚かさ丸だしの血なまぐさい女」と誤つて評価するおそれが大きい。

(三) 傷害事件の前科は、社会通念上、不名誉な前歴とされているが、この映画は、「日蔭茶屋事件」とそれによる「投獄」の事実を印象的に指摘することにより、公然不名誉な履歴を摘示して、債権者の名誉を傷けることになる。しかも「日蔭茶屋事件」の前科は、社会的には忘却され、法律的には抹消ずみのものである。

七 右映画が、とくに債権者のプライバシー(蓋われた私事をあばかれない権利)を侵害すると思われる点は、次のとおりである。

(一) 愛慾場面や痴情的嫉妬の場面は、たとえ客観的には真実であり耽美的なものであつても、主観的には、蓋われた私事として開示をはばかるものであるのに、この映画はそれを無遠慮にも克明かつ具体的に描写して、あばき立てている。

(二) この映画には、他人の寝室や閨房の中まで、立ち入つてのぞき見したような描写が多い。たとえば、刃傷事件の前夜に日蔭茶屋の大杉の私室で、「野枝」と「逸子」という対立する二人の愛人が気まずい鉢あわせをし、共に食事をし、共に一夜をすごす場面や、「逸子」が長襦絆一枚の姿で大杉のふしどに近づく場面などは、申請人としては開示をはばかる、高度に私的な秘事であるのに、この映画はそれらを克明にかつどぎつく描写している。

(三) 「日蔭茶屋刃傷事件」そのものは、すでに司法的評価を経た歴史的事実ではあるが、その開示の程度はあくまでも抽象的、外形的である。また半世紀の経過によつて、すでに忘却のベールにおおわれている。このような「蓋われた過去の恥ずべき私事」としての犯罪行為をあばくことは許されないはずである。しかるにこの映画は「日蔭茶屋」事件における未開示の深部にまで立ちいつて、これを克明かつ具体的にあばき立てている。

八 この映画がフイクションであり、歴史的事実を発想の素材に用いたにすぎないということは、かりにそのとおりだとしても、プライバシーや名誉の侵害の違法性を低めないばかりか、かえつてこれを増強させる。描写が誤解を招き易いフイクションによつて不当にデフォルメされることによつて、不実が真実に重ね焼きされ、観客をして全体としては真実であるかのように誤解させるからである。

九 この映画を製作するにあたつて、債務者等はあらかじめ債権者の同意や諒解を求める努力を全く怠り、債権者が抗議を申入れようとしたときには、すでに映画が完成されていた。

一〇 この映画による債権者の名誉感情の侵害は絶大であり、債権者はシナリオをなかば通読しただけで、不快のあまり臥床したほどである。また試写を観覧したのちも、精神的抑鬱のあまり、たえず嘔吐感に苦しめられている。

一一 債権者はこの映画の上映中止を強く希望し、債務者等に対し、口頭および書面をもつて数度にわたつて、名誉等の侵害部分の完全削除および上映中止を申し入れたが、債務者等はいたずらに非本質部分を甲〈編注 原文ママ〉しわけ的にカットしただけで、誠意を示さず「日蔭茶屋事件」における「剣の舞」的な部分の大半を固執したまま上映にふみ切ろうとしている。

一二 債務者等は、債権者の二度にわたる内容証明郵便による上映中止の申し入れに対し、表面上は話しあいに応じるかのようなゼスチュアを示しながらも、裏面においては、ひそかに意思相通じ近日中に上映を強行しようと画策しているもようである。

このように債務者等が、ひそかに上映契約を結び、アート・シアター系列の映画館において上映を強行するという背信的計画をすすめつつあることはすでに本映画の前売券が堂々と発売され、また広告等に昭和四五年三月一四日を期し、アート・シアター系の映画館においてロード・ショーを開始すべき旨公示されている事実からも推知される。

一三 債権者は、債務者等の共同不法行為による、債権者に対する人格権の侵害を阻止すべく、目下本案訴訟を準備中であるが、一たび本映画が上映されてしまえば、申請人の名誉およびプライバシーは、本案訴訟による救済を受ける以前に、全面的にじゆうりんされ、回復しがたい損害をこうむることは火を見るよりもあきらかである。よつて債務者等の急迫かつ狂暴な行為による、債権者に対する人格権の侵害を未然に防止するため、仮の地位を定める権利保全を目的として、申請の趣旨記載のような仮処分決定を賜りたくあえて本件申請に及んだ次第である。

疎明書類《省略》

昭和四五年三月一〇日

右債権者代理人

弁護士 安倍治夫

東京地方裁判所御中

申請変更の申立書

債権者 神近市子

債務者 吉田喜重

他二名

右当事者間の御庁昭和四五年(ヨ)第一五八五号仮処分命令申請事件について、申請人は追加的に、つぎのとおり申請を変更する。

昭和四五年三月一三日

右債権者代理人 安倍治夫

東京地方裁判所民事第九部御中

一 債務者 東宝株式会社

右代表取締役 松岡辰郎

債務者 三和興業株式会社

右代表取締役 井関種雄

二 追加される申請の趣旨

債務者株式会社日本アート・シアター・ギルドは、本件映画フイルムを上映又は配給することを目的として、第三者と契約してはならない。

債務者東宝株式会社は、東京都千代田区有楽町二の一アート・シアター日劇文化その他同債務者の経営する映画館において、本件映画フイルムを上映してはならない。

債務者三和興業株式会社は、東京都新宿三の二一アート・シアター新宿文化その他同債務者の経営する映画館において本件映画フイルムを上映してはならない。

との裁判を求める。

三 追加される申請の理由

債権者は、さきに本件映画フイルムが債権者有限会社現代映画社または同株式会社アート・シアター・ギルドの占有中であるとの見込みのもとに、とりあえず右債務者等を相手方として本件申請に及んだところ、審理の過程において、事情の発展変更に伴い本件映画フイルムはすでに転々として債務者東宝株式会社および同三和興行株式会社の占有に帰していることがおおむね推知されるに至つたので、申請の実効を期するために、追加的に、任意的当事者変更を申立てるとともに、申請の趣旨の変更を申立てた次第である。

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